綿の日々
菊と木綿の、蜜月
初夏のよく晴れた日、とある神社で木綿の種を蒔いた。
神社境内には土はないためブランターに土をいれ並べたところに木枠で組み立てた囲いをし、紙垂を垂らし神聖な空間となった。
一晩水につけた種を土に蒔き終えると、祭壇が立てられその上には榊の葉と水につかった綿の種が並べられた。最後に宮司さんが祈祷をしてくださり、さらに神聖なものとなった。
こんなに神聖な気持ちで種を蒔いたのははじめてである。
汗だくになりながら重陽の節句に向けて準備をした。
日本には5つの節句があるが、その中でも最も馴染みのない重陽の節句。
1月7日は七草がゆを食べるというのは食文化として馴染み、その時期にスーパーに行けば七草がゆセットが売られている。3月3日と5月5日は多くの人がこどものころに経験したきたように、お雛祭りや端午の節句でちらし寿司や草餅をたべたりお祝いをしてもらう。7月7日は町のあちこちに笹の葉が飾られ短冊に願いを書いた。最後の9月9日、重陽の節句はあまり耳にすることはなく、大人になるまで知らない人も多いのではないだろうか。
木綿から知ることになるとは思わなかった、重陽の節句。
陰陽の考え方から縁起のよい陽数字のなかでも、最も大きい数字9が重なることで縁起が良い日とされているようである。
菊の節句ともいうらしく、菊から出たエキスをお肌につけたり菊酒にして飲むことなどで菊の薬効にあやかるのだとか。
神社で行われた重陽の節句では、菊の花に綿をかぶせて菊の露や香りを染み込ませるための着せ綿をした。そしてお水を張った桶に一晩菊の花を漬け込み、菊エキスが十分にでたお水に綿を浸して軽くしぼり、良くなりたい場所をなで健康を願った。そこには木綿との密接な関係性があった。昔中国で菊の花からしたたる水をのみ長寿になった菊水伝説がもとになっているのだとか。実際に菊の花には薬効成分があるようで、昔の人はどうやってそれを知ることができるのかわからないけれど、人は草花の力にあやかって生きてきたのだなとしみじみ感じる日であった。
重陽の節句は、平安時代初期に宮中行事として伝わったと言われている。
そのころに木綿は日本にはまだ伝わっていない。栽培が盛んだった江戸時代を迎えたころ高価な絹綿から身近となった木綿に変わっていったのかもしれない。
TokyoCottonVillage編集部
日本古来の綿、和綿をテーマに様々な活動を行っています。服も土から成るということに改めて気づき考えるということを大切にしています。